“ない”先生について

先日随分と久しぶりにアズカバンを読み直しました。

きっかけはルーハリを書く上でルーピン先生について履修しなおそうと思ったからなのですが、うっかり映画版と原作版のスネイプ先生の違いに着目してしまいどうにもその事について考えずにはいられません。

映画版を見るだけですと(まったく個人の主観的な視点からですが)、潔癖で神経質で他者からの影響を跳ね除ける印象があったのですが、

アズカバンを読むだけでも他者に自分を認めさせたい、見返したい気持ちや、認めさせるために自分を変えるような人ではないのかなと考えを改めました。

外見からしても映画版の先生は御髪もサラッとしていますし、なんといってもアラン・リックマン由来の隠しきれない色気がそこかしこに漂い、潔癖で孤高の大人の男性像を強く印象付けています。

もちろん言うまでもなく、私の中の基本的なスネイプ像もこのイメージが固く、またこの解釈としてのスネイプ先生も大好きです。

けれどもそれはそれとして、先日から私が熱を上げている”ない”方の先生は原作に近い造詣を思い浮かべているので原作沿いの先生について考えることが増えてきました。

そこで一つ気になったのが、上で挙げたような潔癖なイメージについてです。

二次創作でもそのように表現されることが多い気がしますし、映画版先生の雰囲気にも合っているので違和感はありませんが、原作沿いで想起する先生は潔癖(ここでは不潔さを許さないこと)ではないよなあと私は思いました。

スネイプ先生の外見的特徴に挙げられるねっとり髪はその原因が原作でも明かされていない(はず)ので魔法薬の調合に由来する説や、そもそもの体質説、髪の洗い方が良くない説など様々ありますが、

私個人の”ない”方の先生解釈としては髪の洗い方が良くない、多少お風呂に入らなくても気にならない説を推したいところです。

(パパッとスコージファイで済ませているのも似合います)

それは育ちのせいでもありますし、やるべき事に対して自身を清潔に保つことの優先度が低いのではないかと思うからです。

海外の方はアジア人に比べて皮脂分泌が少ないらしく、お風呂に入る頻度も人によって異なるみたいなのでお風呂に入らないというのは私たちが考えるよりも軽い選択なのではないでしょうか。

幼少期の家庭環境はもちろん、両親の中の習慣的にも同様に思います。

例えばこれがハリーであれば、清潔なダーズリー家という比較対象があるので清潔であることの意義を理解していそうですし、不潔であることで惨めにされていた経験を通してホグワーツで自由に入浴できる事に喜びを感じていたかもしれません。

例えばこれがトム・リドルであれば、効果的に人を動かす為には、という時点で清潔感が欠かせない事には真っ先に気づくはずです。

ハリーのような比較対象も、トムのような戦略的視点もないスネイプ先生が清潔さを二の次三の次に置くというのは可能性としてない話ではありません。そうであると私が嬉しいです。

また、ねっとり髪を維持していたスネイプ先生が学生時代のスリザリンでどういう立ち位置であったかについてですがスリザリン生の誰かがマナーや習慣を教えたとはあまり思えないんですね。

スネイプ先生の食事シーンは昔の記憶を引っ張り出したり新たに調べても殆ど原作に出てこなかったのではないかと思うのですが、個人的にはスリザリン生の動きを見様見真似でカトラリーの扱いやその他のマナー等を習得したのではないかなあと考えています。

当時のスリザリン生やルシウス、ヴォルデモート辺りが彼に作法を教えることはあまりないと思うのですが、その理由としてスネイプ先生の優秀さがあります。

半純血で見窄らしいスネイプ先生は明らかに群を抜いて他のスリザリン生よりも優秀であることは間違いないと思います。

そんなスネイプ先生に対して彼らがそれ以上のものを与えることはなく、むしろ自分たちとの差を決定づける為に放置しておく方が想像に容易いです。

そしてスネイプ先生自身もこれまでの経験上効果的に外見を利用することに可能性や価値を見出しておらず自身の能力を認めさせたい方向に振り切っているように見えるため、粉飾甚だしい彼らをどこかで軽蔑していたかもしれません。

それを踏まえると装飾が一切ない黒衣のみという出立ちは、その見た目から受けるカソックのような禁欲的な雰囲気よりも、誤魔化さず自分自身を認めさせるという鋭い野心の表れのように思えてきます。

選ぶのが面倒くさいとか、黒なら汚れても目立たないとかそういうところなんでしょうけど。こちらが思う分には自由です。

ここまで書いておいてなんですが、テーブルマナーに関しては教職についた際マクゴナガル先生の指導があったら……こちらも私が嬉しいです。

入浴や清潔への習慣に関してはセンシティブで指摘する事を躊躇う可能性もありますが(そして口頭で指摘されたとしてスネイプ先生が無視する可能性も)、食事に関しては彼女が関与していてもおかしくないですね。

「あなたは昔から、大人しそうに見えてなかなか手がかかる子でした」

なんて言われながらテーブルマナー講習を受けるスネイプ先生を考えると心が温まります。

スネイプ先生が知る愛のうち、こういう場面が含まれているといいですね。

ねっとり髪という表現を起点に考えてみましたが、自身のケアに対する優先度の低さとは別に集中する事柄に対する合理性が同居しているように思われるので、指の爪は切り揃えられているでしょう。魔法薬の材料でその指先が蛍光緑とかに染まる事があるかもしれません。

ローブに皺があるとマクゴナガル先生が追いかけてくるので、中の服は皺だらけでもローブだけはピシッとしているなんてことを想像するだけで愛おしいです。

さて、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

文章として綴る事で考えが整理できた気がします。

あくまでもこれは原作の考察というより、”ない”先生を個人的に掘り下げたものとして捉えていただけるとありがたいです。

以上を踏まえて、”ない”先生とハリーがどのように惹かれあっていくのかをまた改めて考えたいと思います。

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